肺腺がんとのつき合い方〜辛すぎる今から自分を守る方法〜
2017/05/05
2010年10月に吐くほどの頭痛の末、意識不明で救急搬送。11月脳腫瘍摘出後、末期肺腺がんと診断された私。
死と隣り合わせで生きる
毎朝目覚めるたびに、私は末期がんなんだと思い出すことが1番辛いことでした。寝ている間は忘れられているのに、目覚めた途端その思いに支配されて過ごすわけです。ずっと目覚めなければいいのに…と思ったことは1度や2度ではありませんでした。「末期がん=死」だったので、否が応でも死を感じながら過ごすことになりました。
その思いを強くする出来事が、目の前で繰り広げられていたこともあります。実父も末期がん治療中だったのです。お酒が大好きな賑やか過ぎる人でしたが、2009年秋に食道がんが発覚。最終ステージ4に限りなく近いステージ3で手術はできない状態。ですから、標準治療の放射線と抗がん剤治療をしていました。食道という場所柄、食事の経口摂取がしにくい上に副作用で瞬く間にやせ細っていきました。大好きだった父ががんによって死に向かう姿。その姿を目の当たりにすることは「末期がん=死」の法則を私の中で強くするには十分でした。
看病をしている私に末期がんが発覚したことは父の精神状態にショックを与え、それから間も無く父は亡くなりました。死に際には父の頬を撫でながら、お別れできたことは良かったと思っています。
辛すぎる今から自分を守る方法
そんな暮らしの中で、死を感じ続けることは私にかなりのダメージを与えました。が、無意識の私が私を守りました。それは感じることを一旦、無視することでした。今、起きている出来事はただただ起きているだけのことだと割り切ることで、辛く感じる気持ちを知らない間に麻痺させていたのだと思います。そうしていなければ、生きて居られなかったのです。おかげで父のお葬式にも参列でき、骨を拾うこともできました。熱さも喉元過ぎれば手法ですね。とりあえず、その場をやり過ごせれば良かったのです。それは自分を大切にするが故の手段だったと、今は思います。ただ、それだけでは済みまず、ふとした時には暗闇に飲み込まれる私がいました。
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私の父は、まさに今 癌と闘病中です。忙しいのかまけて実家にもあまり、帰っていません。今、就職活動中で職場実習中です。終わったら、実家に行こうと思いました。父もお酒が大好きで陽気でしたが、痩せ細りました。わたしは、辛いことがあると逃げてしまう癖があるので向き合ってみたいと思いました(^-^)
こんにちは。1年以上経っていますが、ブログにメッセージ頂きありがとうございます。設定ミスで、今、拝見しました!
お父様はお元気でいらっしゃいますか?私は辛いことがあるとフリーズします笑。向き合うことで突破していきたいですね。